『資本論』第一巻を読む 第10回

第3章「貨幣または商品流通」

第3節「貨幣」

今回は「貨幣」と題された第3節をよんでみます。

  1. なぜ「貨幣」章のなかに「貨幣」節があるのか?
  2. 「貨幣」節は、「蓄蔵貨幣」「支払手段」「世界貨幣」の3項目で構成されているが、どうして一つの節にまとめられるのか?

このあたりを中心に考えてみたいと思います。そして、最後なので、貨幣章全体について振りかえってみます。

序 — 貨幣論全体の構成

この節の冒頭のパラグラフは、第3章「貨幣」全体をまとめたところですが、現行版はかなりむずかしい記述になっています。フランス語版だと、かなり整理されているので比べてよんでみてください。

価値尺度として機能し、それゆえまた、みずからか代理物かによって、流通手段は貨幣である。それゆえ、金(または銀) は貨幣である。金が貨幣として機能するのは、一面では、それが、その金の(または銀の)肉体のままで、それゆえ貨幣商品として、現われなければならない場合、したがって、価値尺度におけるように単に観念的にでもなければ、流通手段におけるように代理可能なものとしてでもなく現われなければならない場合であり、他面では、金の機能が金自身によって果たされるか代理物によって果たされるかにかかわりなく、その機能が、金を、唯一の価値姿態または交換価値の唯一の適当な定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品にたいして固定する場合である。(第四版)

これまでわれわれは、貴金属を、価値尺度と流通手段という二重の姿態のもとで考察してきた。貴金属は観念的な貨幣として第一の機能を果たし、第二の機能では象徴によって代表されることができる。だが、貴金属がその金属体のままで、商品の実在の等価物すなわち貨幣商品として現われねばならない機能が、存在する。もう一つの機能、すなわち、貴金属が、あるいはみずから、あるいは代理人によってでも、日用商品の価値の唯一無二の的確な化身としてこの商品につねに対面する機能も、存在する。どちらのばあいも、貴金属が厳密な意味での貨幣として、価値尺度や鋳貨としての機能と対照的に機能する、とわれわれは言うのである。(フランス語版)

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マルクスは、前節「流通手段」の「c 価値章標・鋳貨」で、流通手段として機能する開閉を「鋳貨」とよんでいました。金貨と金地金の区別が、この c の項のはじめで与えられています。第3節は金貨ではその役割(機能)を果たせない金地金が必要となる世界の存在を問題にしているということになります。

a 蓄蔵貨幣の形成

マルクスの蓄蔵貨幣論は二つの顔があるように思えます。

■商品流通の中断からでてくる「準備」

  • 「鋳貨から貨幣に、転化する」(第一パラグラフ末尾)
  • 『経済学批判』(1858)では「鋳貨準備金」という規定もあります。
  • 最後のパラグラフの、流通手段の調整プールという役割

■自己目的的な蓄蔵

  • 将来の準備ではなく、「埋蔵」する
  • 「貨幣はそれ自身商品であり….」(S.146) つまりどんな商品でもありうるという意味。ちょっと日本語だと誤解が生じますが…特殊な商品に対して、商品一般である、という感じでしょうか。
  • 「黄金欲」「社会的富」「金物神」「審美的形態」など、この節の中盤部分の説明
  • 市場のおける人間行動の合理性と不合理性を考えるとちょっとおもしろい。きわめて合理的に不合理なことを追求する…

■両者の関係は

  1. 金地金でなければならないのはなぜか?「鋳貨準備金」が金地金である必要は….
  2. 自己目的的な蓄蔵から、資本の運動はでてくるのか。かつて、そう考えていたこともあるが、これは誤りだったと気づきました。どう間違っていたのか?それは註(92)の後のパラグラフにでてくる「貨幣の価値」の問題に関連します。

b 支払手段

■後払いの発生

  • 商品流通のなかから、後払いの取引を通じて、債権債務関係が発生するとして、支払手段を説明するのだが、二つほど問題がある。
  1. 債権債務関係は、商品流通以外の要因でも発生する。貨幣の起源に関わる問題に発展する。
  2. 支払手段はなぜ、金地金という意味での狭義の「貨幣」でなくてはならないのか。「自己目的的な蓄蔵」が「貨幣」でなくてはならないのに比べて、後払いのため、というだけでは、ちょっと「貨幣」でなければならない根拠が弱い。
  • 後払いだから、いったん貯めて払うから、というのでは、「鋳貨準備金」と同じ。
  • 註(97)の後のパラグラフの真ん中あたり「貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般商品として,この過程を自立的に閉じる」をどう読むか….

■貨幣恐慌

  • 相殺と清算の関係を説明した後、清算ができなくなるという意味での「貨幣恐慌」について論じている。
  • ここは「生産恐慌。商業恐慌中の貨幣恐慌」(本文)のほかに、「自立的に生じうる、したがって商工業には反作用的にのみ作用する特殊な種類の」貨幣恐慌(註99)が区別されている。

■信用貨幣

  • 信用貨幣は、国家紙幣と、はっきり区別されている。(註(83) 直前のパラグラフ)
  • 「信用貨幣は、売られた商品にたいする債務証書そのものが債権の移転の手段にふたたび流通することによって、支払手段としての貨幣の機能から直接的に生じる。」(S.154)という規定。
  • 支払手段は生身の金だったはずだが、これからどうして、信用貨幣が発生するのか、これは大問題でしょう。ここを批判的に掘り下げることで、今日の貨幣に対する理解が可能のになると思うのですが…
  • この項の最後のパラグラフを読んでみても、支払手段はとしての貨幣はあくまで「貨幣蓄積」であって、「信用貨幣」にはなっていません。

c 世界貨幣

■お金はつくれるか

  • この世界貨幣が、金地金でなければならないことは明らか。金鋳貨は、金地金に刻印を押したもので、その刻印は外部では通用しない。
  • だから、「価値章標・鋳貨」であり、造幣局で金地金を鋳貨に「する」ことはできるが、金地金そのものが生産されるわけではない。
  • 「お金をつくる」とか「偽金づくり」というが、「つくる」という意味をちゃんと考えると、貨幣はつくれるものではない… って、いってよいでしょうか。

■金と銀

この項では、「世界市場では、二重の価値尺度、金と銀とが,支配する。」といって、この貨幣章の冒頭で、「私は、本書のどこでも、ことを簡単にするために、金を貨幣商品として前提する。」といったことを修正しています。この点も「ことを簡単にするため」の前提としてよいかどうかも、考えてみる必要があります。

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