『資本論』第一巻を読む V:第4回

  • 日 時:2018年7月26日(木)19時-21時
  • 場 所:文京区民センター 2階 E会議室
  • テーマ:『資本論』第1巻 第23章第1-2節

第3週の木曜から第4週の木曜に変更しました。会場費500円です。ご自由にご参加ください。

第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」その1

 

1. 概要

1.1. 第1節 資本構成が不変な場合における、蓄積に伴う労働力需要の増大

はじめに資本構成の概念が一般的に説明され、つぎに資本の蓄積は労働力需要の増大であることが学説的に反省され、最後に労働力需要の増大の帰結が理論的に考察されている、といった構成になっています。

1.1.1. ■資本構成の概念

はじめの三つのパラグラフです。①価値構成、②技術的構成、③有機的構成の三つがでてきます。ハッキリ読み取れるのは、②を反映するかぎりでの①を③とよぶ、という規定です。②を反映しない①が何かが明示されていないので、解釈が分かれるのですが、
「生産過程で機能している素材の面から見れば、どの資本も生産手段と生きた労
働力とに分かれる」という点を強調すると、「生きた労働」=v+m なので ② は 「生産手段の物量」/v+m となり、①の c/v とは、量的な違いがあることになります。①は「価値の面から見れば、この構成は、資本が不変資本すなわち生産手段の価値と、可変資本すなわち労働力の価値、労貨の総額とに分割される比率によって規定される」という規定に対応することになります。

棉花1kgを綿糸にするのに10時間かかる、技術が発展すれば、同じ10時間に2kgを処理することができる、この違い1/10 : 2/10 が技術構成ということになります。10時間の賃金が、たとえば綿糸0.5kg に相当する価額なら ① は 1/0.5 : 2/0.5 となり、①の変化は②の変化と同じ方向になります。しかし、賃金が0.5から1にあるいは0.25へなどさまざまに変化すると、この影響で①は②を反映しない動き方をすることになります。②が一定でも、賃金率の変化で①は独立に動く、ということになる。マルクスが考えていったのは、これだろうというのが、置塩信雄先生の解釈だったと思います。この区別は理論上重要だと思いますが、『資本論』の解釈として、自然にでてくるのかどうか、この点はわかりません。

1.1.2. ■資本の増大はプロレタリアの増大

第4パラグラフから第6パラグラフまで。節のタイトルには「資本の構成が不変な場合」とありますが、第4パラグラフの冒頭を読めばわかるように、「資本構成不変の蓄積」に限定しているわけではありません。蓄積のよる資本の増大=追加資本は、雇用量を増やすという第4パラグラフが基本で、このなかで「労賃が騰貴する」ことが明言されています。ただ、労賃が騰貴しても、「金の鎖の長さと重さが、いくらかその張りの緩みを許す」(S.646)という有名な一句が登場します。この部分は、古典派はこの命題(蓄積->雇用増大)を充分理解していたとして、ベラーズ、マンデヴィル、イーデンに言及されています。

コメント:「資本構成不変の蓄積」に関しては、宇野弘蔵が蓄積の二様式論として定式化して恐慌論の基礎にすえたのに対して、日高普さんたちが、追加投資があれば雇用の増大は一般に生じるという命題を対置したのはよく知られています。この第4パラグラフは、実質において不変の蓄積より、蓄積一般の影響を論じたものと解釈することができます。ただ、それであれば、節のタイトルと、冒頭の資本構成の概念規定が浮いてしまうので、やはり、この節は構成不変の蓄積を論じたとする人たちとの間で、解釈が分かれるところでしょう。

注75。たいへんな長いものですが、マルサスの『人口論』の批判(内情暴露)からはじまって、ヒュームとスミスで終わっています。内容は面白のですが、本論の文脈がつかめません。「自然的人口法則」についてはこのあとのパラグラフ(S.648)で言及しています。

注76の直前の本文にでてくる「労働の価格下落をともなう労賃の騰貴などはまったく別にして」は、生活手段の価格上の結果、実質賃金が下落する、そういう名目的な賃金上昇は別にして、という意味にいちおうとっておきます。

1.1.3. ■賃金上昇の帰結

二つの場合があるとされています。
労働の価格が騰貴し続ける。賃金上昇があっても、剰余価値はプラスであるから、というですが、スミスが言うように…. と引用した部分を、マルクスがどう解釈して、①の理由にしたのか、いまひとつハッキリしません。
「利得の刺激」がにぶくなる結果、蓄積が減少する。この理由もハッキリしません。たとえば、剰余価値率に対応して、蓄積率(剰余価値のどれだけを蓄積するのか)が変化する、というのは、「蓄積せよ、蓄積せよ、それがモーゼだ」という100パーセントの蓄積と一致しません。ケインズ経済学の影響をうけたマルクス経済学者は、むしろ、この対応関係を積極的に評価する傾向があると思います。
②はさらに、蓄積の減少の結果、やがて労働力不足が解消され、賃金騰貴がおさまる、という内容になっています。しかし、これはちょっと考えると、難しい問題にぶつかります。

コメント:たとえば、資本の規模が100から110に増大した結果、労働力の追加が必要になり、この影響で、賃金が10から11(12でも13でもかまいませんが)に増えたとします。そのため、剰余価値が減少し蓄積可能な額が、5に減ったとしても、資本はなお、115に増大するので、賃金が下がることはありません。たとえば、11から11.5とかに増加するでしょう。さらに進んで剰余価値がゼロになり、蓄積が停止しても、そこまでは賃金も漸増し続けるわけで、上昇が停止した賃金は、たとえば12という水準に達しており、ここから下がることはありません。もし、積極的にこの高賃金が元の水準10に下がるというためには、マイナスの蓄積、つまり、資本規模のもとの水準100への収縮、を考える必要があるはずです。形式論理でいけば….

賃金の騰落、剰余価値率の騰落によって、蓄積と労働力の間に、このような自動調整がはたらく、というのは、『資本論』のこれまでの文脈からかなり逸脱していると思います。

労働力の過不足は、資本量の変動によるもので、自然人口の変動によるものではないこと、これを通貨学派の貨幣数量説と同類だ、というのですが、蓄積が独立変数、賃金は従属変数という、この規定も検討する必要があります。このことは、最後のパラグラフでもう一度、強調されていますが、資本の蓄積 → 賃金騰貴 → 剰余価値率低下 → 蓄積の減少 → 賃金の下落 → … と、内生的に循環するというのはありえないでしょう。いくら蓄積が減退しても、それだけでは賃金の下落には進まないからです。需要供給関係で賃金の動きを説明するかぎり、蓄積がマイナスになる、つまり、資本量自身が減少することが必要になるからです。

この節は、基本的に演繹的な論理で説明すべき内容になっていますが、その論理には疑問が多く残ります。議論してみたいと思います。

1.2. 第2節 蓄積にともなう集積の進行中における可変資本部分の相対的減少

この節も、基本的に演繹的推論をベースにした内容になっています。前半の6パラグラフは、構成高度化の蓄積そのもの、つづく8パラグラフは集中がテーマで、最後の2パラグラフは更新投資を取りあげ、労働需要の絶対的減少を論じる内容になっています。

1.2.1. ■構成高度化の蓄積

冒頭でふたたびスミスを引用して、①賃金の上昇は資本の絶対量ではなく、蓄積のスピードによる、という命題が提示されています。しかし、その根拠は論じられていません。さらにスミスによりながら、②蓄積は賃金を高めると同時に、労働の生産能力を高める、と述べています。この二つのパラグラフは、どうよんだらよいのか、難しいところです。

スミスが、不変の蓄積 → 高度化の蓄積 という二段階説をとっていたかどうか、わかりませんが、『資本論』はこのかたちで、第1節と第2節をブリッジしています。第1節で述べられた 蓄積 → 賃金上昇 ( → 蓄積:反作用も含め)に対して、生産力上昇 → 賃金 はどう作用するのか、ここでは明示されていません。

第3パラグラフから第6パラグラフは、大きくいって、労働の生産力上昇をどう捉えたらよいかが述べられています。第3パラグラフは、労働生産力の技術的構成による基本規定です。

生産手段の物量/生きた労働 : 労働1時間あたりで処理される生産手段の物量

この増加でまず生産力の上昇を規定します。

第4パラグラフでは、これが資本の価値構成に反映されることを述べます。ただ、すでにみたように、技術的構成が v+m ベースなのに対して、価値構成はvベースなので、価値構成は剰余価値率の変化も反映することになります。もっとも、この点は強調されずに、技術的構成をおおむね反映し、同じ方向に動くと論じられています。

第5パラグラフは、労働の生産力上昇の結果、価値構成は物量ベースの技術的構成よりはるかに低い割合で反映するということが述べられています。c:v が 5:5 → 8:2 のとき、この8時間に相当するcの物量は生産力が2倍になっていれば、物量では16単位になる、というのです。

第6パラグラフは、蓄積部分の資本構成が高度化する結果、同じ量の追加労働力を雇用するのに必要な資本量が増大するという話です。あくまで吸収に必要な資本規模の問題であり、労働力の排出の問題ではありません。

1.2.2. ■集中

第4篇 相対的剰余価値の生産に戻り、資本主義的経営の基本が、まず第一に協業=大規模生産 にあることがリマインドされます。機械化を資本主義的生産の出発点だとする産業革命史観のようなものとは違う点は確認しておく必要があると思います。

コメント:次の一節は注意して読む必要があります。
商品生産という地盤は、資本主義的な形態でのみ、大規模な生産を担うことができる。それゆえ、個々の商品生産者の手もとにおけるある一定の資本蓄積が、独自的資本主義的生産様式の前提をなす。だからこそ、われわれは、手工業から資本主義的経営への移行にさいし、このような蓄積を想定しなければならなかったのである。このような蓄積は、本源的蓄積と名づけうる。なぜならそれは、独自的資本主義的生産の歴史的結果ではなくて、その歴史的基礎だからである。この蓄積そのものがどのようにして生じるかは、ここではまだ研究する必要がない。それが出発点をなすということだけで十分である。

第24章における「本源的蓄積」と、ここで示唆されている資本主義の起源論は、ズレています。ここだけ読むと、自己経営手工業 → 資本主義的経営 というラインになるのですが、第24章は農民 → 大量の無産労働者の形成 で独立小生産者が没落は資本主義の起源の本筋から外されています。資本主義の起源については、最近の論争も含めて再検討する必要がり、宇野弘蔵の段階論も、この点では未解決問題を含んでいます。

資本主義的経営=大規模生産 という観点から、この大規模生産はどのようにして実現されるのかが次に論じられます。結論は、剰余価値の資本への転化=資本蓄積でも可能だが、それでは間に合わない、群小資本の少数大資本への転化=本来の意味での「本来的集中」の果たす役割が大きいというものです。Es ist die eigentliche Zentralisation im Unterschied zur Akkumulation und Konzentration.

その根拠は「①労働の生産性は生産の規模に依存する。それゆえ②大資本が小資本を打ち負かす。」という命題です。この命題が真なら、「社会的総資本が、ただ一人の資本家なり、ただ一つの資本家会社 ein einzigen Kapitalistengesellschaft なりの手に統合されるようにでもなれば、その瞬間にはじめて、この限界に達することになる」という結論になると思います。

さらに、集中のてことして「信用」や株式会社の発展が大きな役割を果たすことが指摘されています。「蓄積によって若干の個別的資本が大きくなって鉄道を敷設しうるようになるまで待たなければならなかったとすれば、世界にはいまなお鉄道がないことであろう。ところが、集中は、株式会社を介して、たちまちのうちにそれをなしとげた。」というよく引用される一節がでてきます。

1.2.3. ■労働力の反発

最後の二つのパラグラフは、短いですが重要です。なぜなら、労働需要の相対的減少ではなく、絶対的な減少が論じられているからです。その根拠は、追加資本 Zusatzkapital に対して、「旧資本」das alte Kapital における資本構成の高度化にあります。ここまで、この存在については明示的に論じられてきませんでした。

コメント:こうなったのは、剰余価値の資本への転化=蓄積 という枠組み、資本の運動を二つに分けた枠組みによるものです。私は再生産の基本を資本関係の再生産におき、蓄積が本来の意味での再生産の一環をなすことが強調されなかったところに大きな問題があると思います。

この節の結論は「一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少数の労働者を吸引する。他方では、新たな構成で周期的に再生産される旧資本は、従来それが就業させている労働者をますます多く反発する。」となっています。吸収と反発の両面並記になっていますが、全体として吸収なのか、反発なのか、両者の関連が原理論としては問題になると思います。

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