『資本論』第一巻を読む V:第6回

  • 日 時:2018年10月25日(木)19時-21時
  • 場 所:文京区民センター 2階 E会議室
  • テーマ:『資本論』第1巻 第23章第4-5節

会場費200円です。ご自由にご参加ください。

第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」その3

 

前回入れなかった第4節と、第5節「資本主義的蓄積の一般的法則の例証」を読んでみます。第4節は「一般的法則」が生みだした産業予備軍の話ということでひとまず了解できるのですが、第5節はどういう意味で「一般的法則の例証」なのか、昔から悩ましい節です。「例証」なので、当然、具体的史実がふんだんにでてきますが、とくにテキストの解釈が分かれる難しい内容ではありません。

しかし、この節は何度読んでも、資本構成の高度化から産業予備軍の累積を説く一般法則からみると、ズレているような気がします。下手をすると、一般法則の内容まで、資本主義のもとでは貧富の差が広がるという、当時のジャーナリストがしきりにレポートしていた、通俗的な社会批判になりかねません。『資本論』を読まずに、労働者の生活困難を論じている書だと先入観をもつ人には都合のよい「例証」になりそうですが、それだけなら、ここまで理論を積み重ねる必要はないでしょう。

あるいは『資本論』が書かれ出版された状況に照らして理解すべき、何か特殊な事情があったのかもしれません。とくに最後の「アイルランド」は、おもしろいのですが、「一般的法則」からはずいぶん距離があります。それでも、『資本論』を刊行するにあたって、1867年の時点で書いておかなければならない何かがあったのでしょう。『資本論』を古典的なテキストとして「読む」というこの読書会の趣旨からは離れますが、少し観点を広げて考えてみる必要がありそうな節です。チャーチスト運動の熱気がさりヴィクトリア朝の富裕化してゆくイギリス労働者に社会主義の未来をみるのか、あるいはアイルランドから追われ合衆国に流れ込む移民に新たな周辺革命を展望するのか….改革か革命か

第5節 資本主義的蓄積の一般的法則の例証

a 1846-1866年のイギリス

マルクスがイギリスに亡命したのは、1849年ですが、冒頭のパラグラフはマルクスの滞英20年の経験にほぼ重なります。この時期の英国が、資本主義として典型的な発展を加速的に遂げたことが述べられています。

近代社会の時期のうちでも、最近20年聞の時期ほど資本主義的蓄積の研究に好都合な時期はない。それはちょうどこの時期が、フォルトウナートゥスの財布をみつけたかのようである。しかし、すべての国のうちで、イギリスがまたしても典型的な実例を提供する。なぜなら、イギリスは世界市場で首位の座を確保し、資本主義的生産様式はこの国でのみ十分に発展しており、そしてついには、1846年以来の自由貿易の千年王国の開始は俗流経済学の最後の逃げ場を遮断したからである。

「俗流経済学の最後の逃げ場を遮断した」というのは、”発展の現実が、俗流経済学がもはや階級対立の激化を糊塗することを許さぬものとなった”という意味にとっておきます。純粋資本主義論の立場から言及されることの多いパラグラフです。

ここでは①自然人口の逓減的増大と、②税の課せられる所得の累積的増大が、指摘されている。このあと、「資本の蓄積は、同時に、資本の集積および集中をともなった。」と述べて、農地の集中、石炭、銑鉄、鉄道距離、輸出入額のデータがあげらています。そしてこれらをもとに、一言でいえば、相対的窮乏化の深化が指摘されています。「彼らはやはり相対的には同じように貧困である。極限の貧困が減少しなかったとすれば、それは増大したのである。なぜなら富裕の極限が増大したからである。」

このあと、次のような説明がでてきます。

イギリスの労働者階級が、どのような事情のもとで、所有階級のために「人を酔わせるような富と力の増大」を創造したかは、労働日と機械とにかんする諸章で明らかにした。とはいえ、その場合にわれわれが主として問題にしたのは、自分の社会的機能を遂行中の労働者であった。蓄積の諸法則を十分に解明するためには、作業場外での労働者の状態、すなわち彼の栄養状態および住宅状態に注目しなければならない。S.683

ここを読むとこの第5節のテーマがわかります。「一般的法則の例証」となっていますが、基幹労働者の作業場内の話はすでに「労働日と機械とにかんする諸章」ですんでいる、というのです。したがって、この後述べられているのは、「作業場外での労働者の状態」であり、しかも、「労働者との最薄給部分、すなわち労働者階級の大多数」が対象だというのです。要するに、窮迫した生活条件の現状をレポートするもので、「一般的法則の例証」といっても資本の蓄積過程に関する「例証」ではありません。このa項は、このあと受救貧民のデータが補足されて終わっています。

b イギリスの工業労働者階級の薄給層


最初の7パラグラフが「栄養状態」、そのあとが「住宅事情」の話です。
医師サイモンから引用に基づきながら、現状をリポートしています。このあたりはコラージュ風の記述です。ドイツの読者のは当時のイギリス最新事情なはずで、マルクスとしても情報としての評価を期待していたのではないかと思います。「勤勉このうえない労働者層の飢えの苦しみと、資本主義的蓄積にもとづく富者の粗野または上品な浪費的消費との内的連関は、経済的諸法則の知識によってのみ暴露される。」とまとめられていますが、「経済的諸法則」がなにかは、もうすでに述べたとおりだから、まえを見ればわかるはず、ということでしょうか、もうちょっと踏みこんだ説明が必要だと私は思います。ここでは、失業者、産業予軍ではなく、雇用されている「労働者層」が対象だと思いますが、その生活水準がなぜここまで下がるのか、蓄積法則で説明できるかどうか、ちょっとわかりません。

後半は、過密住宅の問題です。でてくるのは、ロンドン、ニューカッスル、ブラッドフォード、ブリストルです。

c 移動民

前半は文字通りの移動民の話です。

出身は農村であるが、大部分が工業的な仕事に従事している人民層に目を向けよう。彼らは資本の軽歩兵であり、資本は自己の必要に従って、これをときにはこの地に、ときにはあの地へと派兵する。行軍しないときには、彼らは「野営する」。

産業予備軍と同様、ここでも軍隊組織のイメージで語られています。

後半では鉱山労働者の話です。「炭鉱その他の鉱山の労働者は、イギリスのプロレタリアートのうちで最高給の部類に属する。」と述べた後、その住宅事情についてリポートされています。「鉱山は普通は賃借して採掘されること、賃借契約期間(炭鉱ではたいてい21年間)があまりに短すぎて、この企業によって引き寄せられる労働者や小売商人などに良好な家屋設備を提供することは鉱山賃借入にはしがいのあることとは思われない」という箇所が引用文のなかにでてきます。『資本論』のなかで、炭鉱業が取りあげられている箇所は意外に少ないように思います。炭鉱業は港湾沖仲仕などとともに、資本構成が低く、資本主義のもとでも暴力的管理(ヤクザ組織など)が現れやすいところだという話をむかし読んだことがあります。イギリスではどうだったのでしょうか、ヤクザは。

d 労働者階級中の最高給部分におよぼす恐慌の影響

訳書には「労働者貴族」という訳語がでてきますが、auf den bestbezahlten Teil der Arbeiterklasse, auf ihre Aristokratie で「労働者貴族」というワンタームではないようです。帝国主義段階以降に使われるようになった「労働貴族」という用語とは関係ありません。

この項の冒頭では、1866恐慌について言及されています。

1857年には、毎回産業循環を締めくくる大恐慌の一つが勃発したということが思い起こされる。次の締めくくり期がやってきたのは1866年であった。恐慌は、本来の工場地域では、多額の資本を通例の投資部面から貨幣市場の大中心地に駆逐した綿花飢健によってすでに割り引きされていたので、こんどはそれは主として金融的性格を帯びた。1866年5月におけるその勃発は、ロンドンの一大銀行〔オーバーエンド銀行〕の破産が導火線となり、すぐ続いて無数の金融泡末会社の倒産が起こった。破局に見舞われたロンドンの大事業部門の一つは、鉄船建造業であった。この事業の大立者たちは思惑の時期に際限もなく過剰生産したばかりでなく、そのうえ信用の泉が相変わらず豊富に流れ統けるだろうという思惑から、巨額の引渡契約を引き受けていた。そこへ恐るべき反動が生じたのであって、この反動はロンドンの他の諸産業でも、現在、すなわち1867年3月末まで続いている。

いわゆる10年周期の景気循環に対する第1部での記述としては、いちばん具体的なのではないかと思います。「本来の工場地域」というのはマンチェスターなどランカシャーの地域でしょう、ここでは「綿花飢健」で「資本」がロンドンに移動していたので、66年恐慌は金融的 finanziellen 性格のものとして勃発したと述べられています。「金融的」という用語が登場するのは、第1部ではここだけではないかと思います。第3部だと第20章の注46に 金融貴族 Finanzaristokratie (moneyed interest)というのがでてきます。moneyed という英語の意味は難しく、moneyed capitalとzinstragendes Kapitalの関係は最近の草稿研究で明らかにされてきたようです。

あまり理論的でない方向に流れてしまいましたが、全体としてみると「資本主義的蓄積の一般的法則の例証」という節のタイトルはになっていますが、このなかで周期的景気循環はどういう位置づけになるのか、が問題になります。テキストの流れに沿ってみると、ここでふれられている程度で、恐慌を「一般的法則」と捉える視角は読み取れません。「一般的法則」とはなにか、はじめにも述べましたが、この「例証」の節と、これに先行する4つの節が私には充分整合的なものとして理解できません。「一般的法則」が資本構成高度化 → 産業予備軍の累積 であるとすると、その「例証」は第4節ですんでいます。この第5節は、基本的にそのさらに周辺が論じられており、ただこの項 d. が再び基幹労働者に関する記述にもどっている構成になっているのです。

このあと、モーニングスターとスタンダードという新聞からの引用で、失業した熟練労働者(熟練機械工、ドックヤードの造船労働者の生活状況が紹介されています。スタンダード紙へ言及するに際して「この章の本文で im Text des Kapitels 述べた鉄船建造業」という表現がでてくるのですが、「この章の本文」がなにか、どうもよくわかりません。「この章」が第23章を指すのであれば、本文で「鉄船建造業」が取りあげられている節はないからです。

それはともかく、労働組合も工場法もないベルギーでは労働者がイギリスのような困難に直面していないという資本家側の宣伝があるが、ベルギーの労働者の生活が同じように悲惨な貧困状態にあるということを、また1955年にブリュッセルで刊行された書物で詳細に紹介しています。このあたりには、ブリティッシュミュージアム図書館を利用できる亡命者マルクスの優位性が発揮されています。ドイツ語で刊行された『資本論』は、ドイツ語圏の読者には最新事情をふんだんに与えるものになっています。今日本語でよむと、このあたりの感覚がなかなかわからず、おそらく昔の事情が細かく書かれているだけで冗長と感じるか、あるいは逆に昔も今も労働者の生活苦は同じだ、と時代状況を無視して、「共感」するか、どちらかになるでしょう。

イギリスでは少なくともこの時期、新聞をはじめ、新しいメディアによる報道が社会問題に対して活発に展開されていたようです。ディケンズはマルクスより少し年上ですが、もともとジャーナリスト出身の小説家で、下層階級の生活レポートを得意としています。ここで引用されている長文の新聞記事のようなものが、『資本論』を取りまいていたことは了解しておく必要があります。つまり、このレベルの労働者の貧困問題は周知の事実で、『資本論』のオリジナリティには関係ないがないのです。ポイントは、『資本論』が与えた一般的・抽象的な説明が、こうした周知の事実からなる「例証」にどこまで結びついているのか、なのですが、上でみたように、この間には、私には理解できない落差があります。この落差が、『資本論』がイギリスで意外に普及しなかった、隠れた原因だったのではないかと思います。

e 大ブリテンの農業プロレタリアート

「資本主義的生産および蓄積の敵対的性格が、イギリスの農業(牧畜を含む)の進歩と農村労働者の退歩とに示されているほど、残忍に実証されているところはどこにもない。彼らの現状に
移るまえにざっと回顧しておこう。」ではじまるのですが、「一般的法則」は①農業で「例証」されるものか、②「敵対的性格」一般に広げてしまってよいか、このあたりに問題が残ります。このあと、第7パラグラフ(注146)までは生活手段の価格高騰が進むなかで貨幣賃金が上昇ししても実質賃金が下落しつづけた、という史実の紹介です。ここにはナポレオン戦争(「反ジャコバン戦争」)と穀物法の影響があります。①この貧困化は資本主義的蓄積の問題ではない点、②貧困化の中心が、「一部は銀行券の価値低下、一部はこれとはかかわりのない第一次生活諸手段の価格騰の結果」としての賃金の低さにある点。もちろん雇用量の減少についてもふれられていますが。「銀行券の価値低下」の銀行券はは戦争中の不換銀行券のことでしょう。

穀物法の廃止は、イングランドの農業に大きな衝撃を与えた。きわめて大規模な排水、畜舎飼いおよび秣の人工栽培の新方式、機械的施肥装置の採用、粘土地の新処理、鉱物性肥料の使用増、蒸気機関およびあらゆる種類の新しい作業機などの使用、より集約的な耕作一般がこの時代の特徴をなしている。

資本方法が列記されているのですが、このうち直接、労働者の排出につながるものは「蒸気機関およびあらゆる種類の新しい作業機などの使用」だけです。話題が、資本構成高度化による過剰人口の累積というテーゼの「例証」以上の内容に、つまり「敵対的性格」や「貧困」一般になっています。

とはいえ、リカードが訴えていたような農業における収穫逓減ではなく、逓増がはじまったというわけで、こうなると少なくともか「”原理どおり”彼を幸福に酔わせるはずであった状態」にゆきつくはずだが、現実はそうはならなかった、という説明がこれに続きます。農村労働者の生活水準(『資本論』では「栄養状態」と「住宅事情」の二本立てですが、まずは「栄養状態」についてです)が、囚人以下だ、というレポートの紹介です。注161の後には医師サイモンの公式の衛生報告書から訳本だと5頁以上にわたる長い引用があります。

次に、ハンター医師のコッテジの調査が紹介されています。これは、ベッドフォードシャーからはじまって、バークシャー、バッキンガムシャー、ケンブリッジシャー、エセックス、ヘリフォードシャー、ハンティングドンシャー(「これらの”分割貸与地”は便所のない家から遠く離れている。家族の者は用便のために彼らの分割貸与地に行くか、さもなければ、言及するのは恐縮であるがここで実際に行なわれているように、整理箱の引き出しで用足しをしなければならない。引き出しがいっぱいになると、それが抜かれて、その中身が必要とされている場所に空けられる。日本では生活諸条件の循環はもっと清潔に行なわれている。」といきなり日本が登場します)、リンカンシャー、ケント、ノーザンプトンシャー、ウィルシャー、ウスターシャーと8ページにわたって続きます。「一般的法則の例証」からは大きくズレています。

このあとに「まとめ」のパラグラフがはいります。

①都市への絶え間ない移住、②農業借地の集中・③耕地の牧場への転化・④機械などによる農村における絶え間ない「人口過剰化」、および、⑤”小屋”の取りこわしによる農村人口の絶え間ない追い立ては、歩調をそろえて進行する。

『資本論』の書き方として、はじめにまとめをおくのではなく、中頃まで進んだところででてくることがあるようです。このパラグラフでは、総じて不均等な過剰現象(時間的に空間的にも)が指摘されています。「局地的過剰人口」die lokale Überpopulation という用語もでてきます。また一時的な過剰と一時的な不足から「労働隊制度」Gangsystem (Gang- oder Bandensystem) の検討に進んでいます。労働隊長が女性や児童を組織して借地農業者から請負で作用をするもので、労働隊の存在もまた「例証」とは距離があります。

f アイルランド

最初の8パラグラフは統計を用いたアイルランドの事実についての紹介です。(1)人口が1841年の822万人→1851年の662万人→1861年の585万人→1866年の550万人 ≒1801年の人口と①飢饉と②移民で急激に減少していること、(2)生産物総量もこれにつれて減少していること、(3)このなかで1861-65年で地代と借地農業利潤の増大がみれられたことが指摘されている。(3)の理由として①耕地合併・牧場化(生産力上昇)による剰余生産物の比率増大②市場価格の上昇(「剰余生産物の貨幣価値は、その数量よりもいっそう急速に増加した」の「貨幣価値」Geldwert は「貨幣の価値」の意味ではなく、貨幣で表された価格の意味にとっておきます)をあげてられています。

第11パラグラフから3パラグラフは意味がとりにくいのですが、

他人の労働の合体によって自己を増殖することなしに、生産者自身にとって就業諸手段および生活維持諸手段として役立つ分散した生産諸手段 — これが資本でないことは、生産者自身によって消費される生産物が商品でないのと同じである。人口総数の減少につれて、農業で使用される生産諸手段の総量も減少したが、農業で使用される資本の総量は増加した。なぜなら、従来の分散した生産諸手段の一部が資本に転化したからである。

というのは、資本ではない小農の生産手段が、集中により資本になるということだと読みました。一種の集中集積論かもしれませんが、むしろ、24章の内容かも知れません。アイルランドの人口減少下での地代と借地農利潤の増大ないし維持に関して、マルサス的な原理、資本蓄積と貧困と自然人口の減少が取りあげられています。さらに注186bのパラグラフも合衆国への組織的移民 systematischer Prozeß の話で、ここまでが総じて人口減少に関する議論です。

このあと「残留して過剰人口から解放されたアイルランドの労働者にとってどのような結果が起こったか?」と、人口減少のもとでのアイルランド内部の資本蓄積がテーマとなります。基本的にアイルランド=農業国という前提のもとで、①「農業革命 — すなわち、耕地の牧場化、機械の使用、きびしさこのうえない労働節約など — 」(S.735)が、おそらく「産業革命」にかわって重視されます。これにより移民を上まわる勢いで「相対的過剰人口」が排出され、さらに中小借地農場経営者の没落や、またリンネル織布業での成年男子雇用の収縮などが重なり、総じて、過剰人口が累積しているという。

さらにに雇い農村労働者の生活状態の低さが栄養摂取と住宅事情の面からレポートされる。イングランドの場合、相対的過剰人口の累積が第4節のようにさまざまなかたちの「産業予備軍」として滞留したのに対して、アイルランドの場合「移民」の排出となるが、それでも「移民」が不充分で貧困化が進んでいるというが基本的な内容だと読みました。「ロード・ダフアリンは、約200万人ではなくわずか100万人の1/3の新たな瀉血を要求しているだけであるが、この200人の放出なしには、アイルランドに千年王国は建設されえない」(S.738)というのです。人口550万に対してです。「人口350万人のアイルランドはいまなお貧困 elend であり、しかもその貧困は人口過剰のゆえであるから、アイルランドがイングランドの牧羊場、放牧地である真の使命を果たすためには、アイルランドの人口減少はさらにいっそう推し進められなければならないということを。」(S.739)これは、産業資本による資本蓄積の話ではなく、牧場化による労働力の排出です。ここまでして、アイルランドに論及した狙いはどこにあるのでしょうか。「アイルランドにおける地代の蓄積に歩調をそろえてアメリカにおけるアイルランド人の蓄積が行なわれる。羊と牛とによって排除されたアイルランド人は、フィーニア党員として大洋の彼岸で立ち上がる。そして老いたる海の女王にたいして、ますます威嚇的に若き巨大な共和国がそびえ立つ。」(S.740)「共和国」は合衆国のことですから、地主=イングランドの利害でアイルランドの過剰人口化が進むと、移民がUSAにながれて、UKとUSAの対立が大西洋を挟んで深まる、ということでしょうか。マルクスの革命論に関わるのだと思いますが、合衆国における社会主義の可能性を考えていたのかもしれません。しかし、それ以前に、アイルランド独立闘争も始まりかけている時期でもあり、アイルランダーの立場で植民地問題を論じる必要があったのではないかと私は思います。

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