『資本論』第二巻を読む:第3回

  • 日 時:2019年 6月19日(第3水曜日)19時-21時
  • 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
  • テーマ:『資本論』第2巻 第1篇第2章
第2章「生産資本の循環」

第3水曜日に変更しました。第1章の残した部分をおさらいして第2章に進みます。

第1巻を読む際には、パラグラフ単位でブロックに区切って要約しコメントを加えてきました。第2巻は草稿の性格が強く、重複した内容もあるので、このような長めの要約はさけ、ここをしっかり読むべきだという箇所をピックアップしてみます。本論の流れからいうと末節に当たりそうな部分でも、たとえば「正常な過程」に反する事例としてあげられている点のほうが、重要な箇所だったりするのです。

私の批判点も、第1巻のときとよりは明示的に述べてみます。「この章で気になる点は?」「ズバリ、資本価値・不変説です。」「どういうこと….?」ということで…

単純再生産

W’— G’・G— W を資本の(総)流通過程とよび、ここでは剰余価値 g の処理を問題にします。これが「単純再生産」という節のタイトルの意味です。

G…G’ と P …P の比較が繰り返しなされているが、この形式の比較が必要かはともかく、用語的な問題として次の点は詰めて考えておくべきです。

資本の流通過程
「流通」という用語は本来「商品流通」(W — W) の意味であったが、資本の運動のなかのW’— G’・G— Wの意味に転じている点。もともと、第一巻のレベルでも、W — G — W’ は、「商品流通」W — W と区別して、「商品の変態」とよばれていました。ところが、途中で 「商品の変態」を「商品流通」とよぶようになります。 W–G–W’ をもって「単純な商品流通」と称することもあり「流通」という用語の語義のズレが生じていました。そして、第2巻では「資本の流通過程」というかたちで、上記のW’— G’・G— W つまり W — G— W’ が「流通過程」とよばれるわけです。しかし、資本自身が流通するということはありえません。商品は流通し Zirklation 貨幣は通流し Umlauf 、そして資本は….. 姿態変換 Formwechsel する:資本の運動を指定する用語が、確定していないのではないかと思います。
資本価値

次の二つの顔をもつ。

  1. 量的な問題として投下された G なしい W=P を意味する場合が多い。資本価値Gが剰余価値gと分離され、単純再生産のもとで資本価値が循環し、資本価値の循環運動の外側に、g—w —g という資本家の収入が並置される。
  2. しかし、資本価値を「形態」として捉えて、価値が貨幣と商品のすがたを取っては換える姿態変換と捉えているところもある。

    一般的流通の内部では、W’たとえば糸は、商品としてのみ機能する。しかし、資本の流通の契機としては、W’ は、商品資本として als Warenkapital、すなわち資本価値 der Kapitalwert が身につけたり脱ぎすてたりする姿態 eine Gestalt として、機能する。S.74

二番目の顔が重要である。一番目は、一体となって進む資本の価値増殖運動の意義を、投下労働量が価値の大きさを決める関係をただ反映する外皮に過ぎないとして形骸化してしまうものであり、評価できません。

上の問題は、売買に伴う変動を捨象する「正常な過程」論と表裏の関係にあります。

循環が正常に行なわれるためには、W’が、その価値どおりに、そしてその全部が、販売されなけれ側ばならない。さらにW — G — W は、ある商品を他の商品によって置き換えるということだけでなく、同じ価値比率で置き換えることをも含んでいる。われわれは、ここでそういうことが起こるものと仮定する。しかし、実際には生産諸手段の価値は変動する。まさに資本主義的生産にとっては、資本主義的生産を特徴づける労働の生産性の持続的な変動のためだけによっても、価値比率の不断の変動は固有である。もっとあとで論究されるべき生産諸要因のこの価値変動については、ここではただそれを指摘しておくだけにする。生産諸要素の商品生産物への転化、P からW’への転化は生産部面で行なわれ、W’からP への再転化は流通部面で行なわれる。この再転化は単純な商品変態によって媒介されている。しかし、その内容は、全体として考察された再生産過程の一契機である。W — G — W は、資本の流通形態としては、機能的に規定された素材変換を含んでいる。 — G — W という転換は、さらにWが商品分量Wの生産諸要素に等しいこと、また、これらの要素が互いにその最初の価値比率を保持することを条件とする。したがって、諸商品がその価値どおりに購買されることだけでなく、それらの商品は循環中になんらの価値変動をこうむらないことも想定されている。そうでなければ、過程は正常に進行しえない。S.78

この引用箇所は、この章の限界をもっとも端的なかたちで示しています。資本の流通過程を論じながら、その流通過程としての特徴をすべて捨象して、生産過程の外皮にしてしまう内容だからです。

そういいつつも、正常に進まない場合への言及が随所にあります。とくに目を引くのは「恐慌の考察に際して重要な一点」として、最終的な消費がなされていなくても商人に売れれば産業資本はすぐに生産を始めるという問題が取りあげられています。

剰余価値の生産、それとともに資本家の個人的消費もまた増大し、再生産過程全体は繁栄をきわめた状態にありうるが、それにもかかわらず、諸商品の一大部分は外観上消費にはいっているにすぎず、現実には売れずに転売人たちの手中に滞積し、したがって実際にまだ市場にある、ということがありうる。そこで、商品の流れが商品の流れに続き、ついにはまえの流れは外観上消費によってのみ込まれているにすぎないどいうことが明らかになる。諸商品資本が市場で互いに席を争奪し合う。あとから来た者は、売るために価格を下げて売る。まえのもろもろの流れがまだ現金化されていないのに、それらの支払期限が到来する。それらの持ち主たちは、支払不能を宣言せざるをえないか、または支払いをするためにどんな価格ででも売らざるをえない。この販売は、需要の現実の状態とはまったくなんのかかわりもない。それは、ただ、支払いを求める需要、商品を貨幣に転化する絶対的必要と、かかわりがあるだけである。そのときに、恐慌が勃発する。恐慌は、消費的需要の、個人的消費のための需要の、直接の減少においてではなく、資本と資本との交換の、資本の再生産過程の、減退において、目に見えるようになる。S.81

さらに最後のところで、遊休貨幣資本の存在についても論及されています。

流通過程の進行が障害にぶつかり、その結果G が市場の状況などの外部の事情によってその機能Gーwを一時停止せざるをえなくなり、そのために長かれ短かれその貨幣状態にとどまるとすれれもまた貨幣の蓄蔵貨幣状態であり、この状態は単純な商品流通においても、W — G の G—W への移行が外部の事情によって中断されるとすぐに現われる。それは、非自発的な蓄蔵貨幣形成である。われわれの場合には、貨幣はこのようにして遊休的 brachliegendem (brache:休耕) 潜在的な latentem 貨幣資本の形態をとる。しかし、われわれは、さしあたりこの点にはこれ以上立ち入らない。

蓄積、および拡大された規模での再生産

この節は、前節末尾の貨幣蓄積に直結するかたちで展開されています。剰余価値は貨幣のかたちで蓄積され(この蓄積という用語も注意が必要ですが)、「潜在的貨幣資本」 latente Geldkapital が形成されるというのです。これについては、エンゲルスの注がついています。

このあと「資本主義的生産の全性格は…」S.83-4 で第一巻の主旨が短くまとめられています。第一巻とは要するにこういうものだったのです。この前から使われてきた用語ですが、剰余価値の一部が資本化される kapitalisieren というのです。

この節でも、価値は生産過程で形成され、流鬱過程では正常に実現されるという関係が繰り返し論じられています。いわばG’ = G + g 論で、G が資本価値だという捉え方ですが、私は GもG’も資本価値で、g = G’ – G として事後的に算定されると考えるべきだという立場です。これはけっして、流通過程で剰余価値が形成されるという意味ではありません。ただ、資本の利潤は自己増殖する価値の運動体が結果的に生みだす残差である点がポイントです。資本価値は変わらないGであるというのでは、自己増殖の自己の意味が捉えられないと思うのです。

貨幣蓄積

剰余価値は一定額になるまで生産に投下できないから、積み立てられるという話です。これを「蓄蔵貨幣形成」というのは、第一巻の「貨幣としての貨幣」にでてくる「蓄蔵貨幣」とはかなりズレています。事実上、あそこでは「鋳貨準備金」といわれていた範疇に近いものです。

準備金

はじめに前節の「蓄蔵貨幣形成」を「貨幣蓄積元本」とよび「貨幣蓄積元本は、循環の撹乱をのぞくための準備金として役立つ」といいます。そしてこのあとに、支払期日のズレなどから生じる本来の「準備貨幣資本」の存在を指摘します。おそらくこのあたりが未整理なのではないかと思います。変動準備金が正面から規定されていないのです。「貨幣蓄積元本は、すでに潜在的貨幣資本の定在であり、したがって、貨幣の貨幣資本への転化である。」S.90 というのですが、剰余価値ははじめから資本の一部であり、あらためて資本に「転化」するような存在ではないと思うのです。



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