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: 参考文献 : 商品貨幣説と貨幣数量説 1 : 商品貨幣説について

預かり証書と信用貨幣

ここでは、預かり証書が事実上、タバコ準備通貨として捉えられている。この種の預り証は信用貨幣とどういう関係にあるのか、原理的に、貨幣の本性を捉え返すための手がかりがあるように思われる。

1990 年代後半からアングロ・サクソン系の研究のなかで、マルクス貨幣論をめぐる論争がみられる。それは「信用が、そして信用のみが貨幣である」(Innes[1913] p.31) と説くインネスの論文の再評価を伴いながら展開されたIngham[2004] に代表される新たな表券主義的貨幣論を一つの契機とする。この立場からは、バーター取引から出発してその効率化をもたらす手段として、交換の媒介物として貨幣を捉えてきたオーソドックスな純経済学的な貨幣生成論が理論的に仮想状況にあわせて貨幣概念を狭めてきたことが批判され、貨幣の本質はなによりも一律な価値表現の尺度を与えるところにあるという立場が提示される。それはまた、商品経済の内部から内生的に交換手段として貨幣が発生するのではなく、それに還元できない独自の社会的な基礎が不可欠になるという主張と結びついている。こうした観点から、マルクスもまた、古典派的な媒介物説を再生産しているだけであり、その商品貨幣説ゆえに貨幣を、計算貨幣money of account にもとづく抽象的価値abstract value として捉えることに失敗していると批判する(Ingham[2004] p.62)。しかし、ここでいわれるabstract value の内容は必ずしも明確とはいえない。

マルクスの議論を追えば、その商品貨幣説がマテリアルとしての物財貨幣を意味するものではないことは、おそらくだれの目にも明らかである。マルクス自身、商品に内属するものとして価値を捉え、いわばその表現として貨幣の基本規定を求めているのであり、それはある意味で、インネスがその重要性を示唆するabstract value の一つの厳密な概念化というべきものである。本稿はこうした商品価値の本源に立ちもどってみると、マルクスが示した金属貨幣だけではなく、それと並列に信用貨幣も導出されると捉える点では、意見したところ、近年の表券主義的立場に近似するようにみえるかもしれない。この立場における信用貨幣は、商品価値からも切断された、いわば外生的な貨幣論の系譜に属するのであり、商品価値から貨幣が発生するという、その意味では徹底的に内生説的な立場を強調する私の立場と根本的に異なる。貨幣が商品経済外的な条件を呼びこむ開口部の一つを形成しているという私説は、そうした外的条件のほうが貨幣の本質をなすということを意味するものではない。この点でインガムの主張にマルクス派から反論を加えたLapavitsas[2005] が計算貨幣本質説を批判しながら、同時に貨幣の基本規定を社会的慣習social custom 抜きに説明することはできないというかたちで、社会的基礎を強調するインガムにそのかぎりでは近い視点から、主流派貨幣論の限界を批判する。私は逆に、主流派に対しては、社会的慣習の不可欠性よりも、信用貨幣の本源性のほうを重視する立場から、その限界を批判すべきであると考えている。



obata 平成18年10月18日