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『資本論』第1巻を読む II 第2回

第2節「一般的定式の諸矛盾」

「資本の一般的定式」について、前回議論してみました。資本とは何か、一般的な概念を提示するべき箇所です。『資本論』Das Kapital という書名で刊行した以上、まさに中心中の中心の概念であるはずです。商品からはじめて、貨幣を導出してきたのも、資本の概念を明確にする下準備だったといってよいでしょう。生産ではなく、市場の観点から、まず資本を規定した点は重要なポイントです。しかし、そのうえで、資本の概念をしっかり打ちたてるには、ただ「資本とは自己増殖する価値の運動体なのだ」と、お経のように繰り返してすますべきではありません。考察は、この規定で終わるのではなく、ここからはじまるのです。「自己」とは何か、「価値増殖」とは何か、「価値の運動体」とは何か、貨幣が資本に「転化」するとはどういうことか、全部平明に答えてゆかなくてはなりません。

…ということで、前回は 転化すなわち変身 Verwandlung, transformation をめぐる、むずかしい話になりました。今回のところは、ある意味では簡単なので、前回の議論に結びつけ、資本の概念を深めてゆきたいと思います。

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「資本主義の世界史的発展段階をどうとらえるか」

5月30日に世界資本主義フォーラム というところで、話をするように依頼を受けました。

  • 「世界資本主義批判」
  • 当日のペーパーです。基本的な報告内容はこれにまとめてあります。

    頼まれれば、時間の許すかぎり、どこへでもうかがうつもりです。「資本主義の世界史的発展段階をどうとらえるか」というのは私がつけた論題ではなく、仮題としていただいたものです。私にはちょっと大きすぎるテーマなので、ききたいトピックを教えてください、とお伝えしたところ、次の4つの宿題をいただきました。

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    『資本論』第1巻を読む II 第1回

    第4章 「貨幣の資本への転化」

    第1節「資本の一般的定式」

    資本とは何か、これは Das Kapital という書物の主題でしょう。商品、貨幣の規定をうけて、第4章はこの問いに答えるものです。第1節「資本の一般的定式」は、これに簡潔に答えているようにみえますが…

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    『資本論』を読む II

    『資本論』を読む II

    今年度も、継続して資本論第1巻を読んでゆきます。場所と時間は変革のアソシエ ホームページをごらんください。

    やさしい話から、むずかし〜い話までOKです。でも、とにかく、自分で考えて納得できない話はダメです。『資本論』を批判的に、大事なところは、徹底的に精密に読んでゆきます。

    「資本の概念と株式資本」について

    yazawa さんからobataの「資本の概念と株式資本」に関して、コメントがございました。ここに移しておきます。対象になっているのは、obata の大学業務のページの一覧表にあるように、2005年に大東文化大学で開催された「経済理論学会第53回大会」における報告論文です。


    1. 「資本の概念と株式資本」の中に、下記の文章があります。資本が商品で投下される、とはどういうことを指していますか?生産者が生産物を市場に出す、ということですか?それとも資本の循環運動図式で、商品を出発点とみる、ということですか?いずれにせよ、(「商品」は貨幣から始まる資本の価値増殖運動の一部における一時的な姿態にすぎないのだから)「貨幣ではなく商品が」資本として投下された、とみるのは、無理があるように思います。

    (小幡の回答){資本の運動は、資本の投下、前貸によってはじまる。投下された資本額の確定は必要であるが、それは商品で投下されることもある。必要なのは、いつ、いくら投下したか、を明確にすることであり、資本の投下と貨幣の支出とは別個のことである。}

    1. 「貨幣の増殖」と「価値増殖」はちがう、という指摘は、言われてみればその通り。「貨幣の価値」は変化するから、貨幣が増えても価値が減ることはありうる。このことと「資本は回収が目的ではない」は、どう関係するのか?
    2. 投下貨幣の回収によって価値増殖が実現する、と考える必要はない、と書かれています。これも、言われてみると、思い当たる節がある。これだけ世界的にマネーの増発が(QEで)拡大してしまうと、もはや「回収」はしたくてもできなくなる。といってデフォルトさせるわけにも行かないから、さらなるQEで救済する。「投下資本の回収」ではなく「利潤の回収」が目的になる、ということでしょうか?
      矢沢国光